祖父母は石川県の出身。大学時代は理学部で化学を専攻しました。卓球の練習に明け暮れた高校時代。北海道でベスト4になり、インターハイに出場。私は北海道の農家に生まれた次男坊。小さい頃はよく、祖母がリヤカーで野菜を売りに行くのについて行ったことを覚えています。行く先々でお菓子がもらえるので、それが目的でした(笑)。北海道は小学校にスケートリンクがあって、スピードスケートの大会で私は何度も優勝し、道東で一番だったんです。しかし、6年生の時にスキーで骨折してしまい、スケートをあきらめました。そして中学から卓球を始め、高校まで盆も正月もなく、ずっと練習に明け暮れる毎日でした。進学で富山にやってきたのが縁で、この会社に入ることになったわけですが、当時はまだ数店舗をきりもりする街のケーキ屋さん。お菓子とは全く無縁だった私は、年下の先輩社員たちに一からケーキ作りを教わりました。実力で認められたいと、自分の仕事が終わってから、そして休日も練習にあてた甲斐あって、若手職人の中では一目置かれるようになり、それから工場長として長く製造現場に携わってきました。会社も成長し規模も大きくなりましたが、今日に至るまで長く貢献して下さった社員さんがたくさんいます。家庭を守り、定年まで勤めあげ、今なお元気で人生を楽しんでいらっしゃるOBの方々を見るとき、お菓子と共に、働く社員さんにも長く愛される会社でありたいと願っています。まついとしゆき株式会社ボン・リブラン代表取締役社長(58歳)出身校:北見市立北中学校(北海道) 北海道北見柏陽高等学校誰もが一度は食べたことがあると思いきや、富山銘菓の「甘金丹」「富也萬」を知らない地元の中高生は意外と多いらしい。でもそれは、まだ伸び代があるということ。あぐらをかかず、次世代の銘菓の開発をめざす。富山大学理学部卒。富山県洋菓子協会理事、富山市菓子工業組合副会長。 松井 敏幸さん私の学生時代
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