【石川県版】先生の先生Vol.2
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将来の可能性を信じ、道筋を示してくれた先生小松市立御幸中学校川下大輔先生です小学4年生の時、親友に誘われて始めた相撲が、その後の自分の人生を踏み固めてくれたといっても過言ではありません。相撲が大好きだった同級生3人とともに中学に上がったのですが、相撲部がなくて、3キロ離れた加賀市中央公園の相撲場に行って練習していました。そこで出会ったのが、大聖寺実業高校の相撲部監督、浅田先生でした。先生の指導のおかげでメキメキと力をつけ、県大会、北信越大会で      リレーエッセイ「その三十七」もう今回は団体優勝。全国中学校相撲選手権への出場が決まり、ようやく橋立中学校にも相撲部が設立されました。高校進学に際しては色々お誘いも受けましたが、浅田先生がいらっしゃる同校に進学しました。中学ではキャプテンをしていたものの、体重は一番軽くて、入学当時は60㎏しかありませんでした。インターハイに向けて増量するため、先生は朝昼晩、お腹一杯食べさせてくれました。奥さんが作って下さる料理が最高に美味しくて、体重は毎年10㎏ずつ増えていきました。浅田先生は、試合の結果だけを求めるのではなく、将来、何を目指すのか、生徒一人ひとりを思いやり、道標を見せてくれる教育者でした。「大学に進学して教員免許を取らないか?」と先生から言われたのが高3の時。私は兄弟が多く勉強も二の次でしたから、大学に行くことも教員になるということも全く頭にはありませんでした。しかし、浅田先生に憧れていた私は、教師になる道があるなかみちしるべあこが *   おい すかごん  こ  児童文学作家・翻訳家、石井桃子さんの言葉のなら■ってみたいと思いました。全国から精鋭選手を集めた大学の相撲部は、稽古も上下関係も想像を超える厳しさで、髪の毛が真っ白になりました。主将になると、西日本1部リーグを死守しなければならないプレッシャーを背負い、正直、何度辞めたいと思ったかわかりません。しかし、大学の先生や仲間たちと飲んで語り合うのは楽しく、教員免許取得を目標に4年間やり抜きました。私が卒業する生徒に送っている、好きな言葉があります。「*大人になってからあなたを支えてくれるのは、子供時代のあなたです」。私自身、困難にチャレンジする時、学生時代の経験が自分に勇気を与えてくれました。若い時の経験や思い出は代え難い財産。学校の成績や生活態度だけではなく、子供の背景にあるものを理解し、未来につながる〝今〟を輝かせてやりたいと思います。たどせいえいけいがた小松市立御幸中学校 教諭川下 大輔 先生【かわした だいすけ】加賀市立橋立中学校、石川県立大聖寺実業高等学校 出身小学校から大学まで相撲部。元大相撲力士の藤ノ川(本名は服部祐兒)関が監督を務める東海学園大学に進学。卒業後は、少年相撲の監督を務めていたが、現在は土俵をグラウンドに移し、野球部の顧問として指導をしている。家族は奥様と息子さん2人で、生徒から「子供の話をする時は顔が変わる」と言われるほどの溺愛ぶり。東海学園大学経営学部経営学科卒。担当教科は社会。相撲部で主将も務めた大学時代(後列1番左)36

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