大谷の職業人(編集・発行 珠洲市立大谷小中学校)
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この職に就くまでに 世界に注目される塩田村 塩作りでの心得昭和33年まで、清水町周辺には、106件もの塩田があったそうです。しかし、昭和33年に1件を残して他の塩田は廃業してしまいました。そのため、塩田の伝統が途絶えそうになりました。しかし、その後、清水町の方々が、村おこしの一環としてもう一度塩作りを始めることになり、平成7年に今の塩田村ができたそうです。しかし、浜士が見つからず、見つかっても年配の方ばかりで「年が年でついて行けない」とやめる方が多くおられたそうです。当時、建設会社に勤めていた登谷さんにもその話が舞い込み、浜士として1年間派遣されました。この時、登谷さんは初めて浜士になったのです。その頃の塩田に行くと、一面の赤土。赤土は塩田に向いておらず、約100坪、深さ約70センチ分の塩田の土と山の土とを会社に用意してもらい、南利雄(みなみとしお)さん・友貞伊作(ともさだいさく)さんと力を合わせて入れ替えたと言います。粘度が強すぎても柔らかすぎても塩田には適さず、探すのはとても大変だったそうです。この賢明な姿に塩田村から、「会社を辞めてこっちに所属してくれ」と熱望され、平成9年に正式に社員になったそうです。2015年、連続テレビ小説「まれ」の撮影地として塩田村は有名になりました。他にも、NHKや有名なテレビ番組などでよく目にします。その番組では、有名な予備校講師や東大生、芸能人なども塩田村で撮影を行っています。また、日本のみならず、今では、海外でも塩田村は有名になっています。世界各国から取材のオファーを受けているそうです。本誌が取材に訪れた日もフランスからのクルーがはるばる訪れ、登谷さんのお話に耳を傾けていました。企業体でのドローン撮影やヘリコプターによる撮影を行ったこともあるそうです。ヘリコプターでの撮影は、カメラマンの高度な技術が必要になり、今では空中からの撮影では、ドローンが主流となっているそうです。ひざの痛みに耐えながら、撮影に挑んだことを懐かしそうに語ってくれました。塩作りでは釜炊きが大事。まず、塩田で長年使っている、平釜はまろやかな塩を作るのにうってつけなのだそうです。丸釜だと、中心と端で温度が異なり、良い塩が作れないそうです。平釜でも、神経を研ぎ澄ませて行わないと、角が立った塩になってしまう。そのため、平釜の表情を絶えず見ておかなければならないのです。釜炊きに使っている薪にもこだわり、登谷大谷町在住 浜士 すず塩田村 さん とやりょういち良一

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