おこなぶつがしひんぱんろうきゅうまんだらせいけいけねんいだおしせかいのていきんhttps://www.happy-f-toyama.com▶(ネパール連邦民主共和国)[自己紹介]ネパール、シンドゥ・パルチョーク郡出身。実家は代々続く仏教寺院で、9人兄弟の5番目に生まれました。国立トリブバン大学(IA)を卒業後、仏教画の絵師として独立。結婚して富山に移り住み16年になります。現在、射水市で「葉っぴーFarm」を経営し、小松菜、長ネギを生産。ネパールでも農業法人を設立して母国の農業発展と日本との国際交流にも力を注いでいます。株式会社葉っぴーFarm代表取締役、富山ネパール文化交流協会会長。“小松菜の匠”と呼ばれる師匠と出会い、後継者として「葉っぴーFarm」を引き継ぎました。有機肥料を使った残留農薬ゼロの小松菜はアクが少なく甘くて肉厚。生で食べられます。 私が生まれ育ったところは、ネパールの中でも豊かな地域でしたが、当時の学校には黒板もトイレもなく、高校時代、私は皆に声をかけ、親戚中からお金を集めてそれらを作りました。千年も昔の記録が残る古いお寺のお坊さんの家で生まれた私は、小さい頃から先祖がしてきた素晴らしい行いについて話を聞き、「みんなのために生きなさい」と、祖父そして父からいつも言われてきました。それが当たり前だと思っていましたから、大学生になってからは、もっと多くの社会貢献をしたいとNPO法人を立ち上げ、募金や寄付を集めて村の老朽化した吊り橋を架け替えたり、地方からやって来た若者たちにサッカー教室を開いたりしました。 大学を卒業して仏画師となり、仏画や曼荼羅を描いて販売したり、仏教絵画を教えるなどして生計をたてていた私ですが、日本人の女性と知り合い、結婚して子供ができたのを機に妻の故郷である富山県にやってきました。ネパールは親戚づきあいをとても大切にする国で、友人とも頻繁に連絡し合っていましたから、ルマ ダラマつか日本に来た瞬間、それが全くなくなり、最初は日本語もうまく話せなかったので、とても孤独でした。 「何かみんなのためになることをしていけば、地域の人たちに自分を知ってもらえるし、友達も増えるだろう」と思い、農業を手伝い始め、小松菜栽培の師匠と出会ったことが、現在に至るきっかけです。仏画や農業を通した活動や交流を通して多くの人たちと出会い、言葉も自然に話せるようになりました。 日本人は勤勉で経済力もありますが、核家族が多く、地域の良き伝統や先祖の話を語り継ぐことが薄れていることに懸念を抱きます。子育てをする上で、豊富な人生経験を積み重ねてきた祖父母とのつながりや歴史を知ることはとても重要。その訓えの数々が先人への尊敬の念を抱かせ、社会に貢献する意識を育てるのです。庭訓=庭(にわ)での訓(おし)えという「論語」に 由来することばで家庭教育を意味します。15Federal Democratic Republic of Nepal「みんなのためになる仕事をし、いいことを増やしてください」Dharma Lamaさん(48 years old)
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