庭訓 日本語訳付き
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せかいのていきん私はインドのIT 産業の中心地、バンガロールという国際都市で育ち、5つの言語を習得しました。富山県のインド国際交流員になる前は、名古屋大学で物理学を専攻。 いつも読書に没頭している私です。読書好きに火を点けた本を見る小さい頃の私。今もこの本を持っています!  これはよく知られている古代ヒンドゥー教の聖典、バガヴァッド•ギーターの格言です。ヒンドゥー教の家庭で育った私は、この言葉を数えきれないくらい聞かされました。しかし、自立した大人になった今、この言葉に織り込まれた訓えの素晴らしさに、ようやく気付くことができました。 学生時代の私は、勉強好きで試験の順位を第一に考える完璧主義者でした。たった1点か2点減点されただけで、泣いて家に帰ったものです。試験の直後は心配になり、父に聞いていました。「私、良い成績とれると思う?」。中学生の頃、父はいつも「間違いないよ」と答えてくれ、心が和らぎました。でも、高校生になって父はこう言いました。「結果は自分ではどうすることもできない。お前ができるのは、どれだけ努力するか。だから集中して勉強しなさい」。父の言うことは理解できましたが、私は落ち着きませんでした。結果を気にして心配になることは絶対なくならない。大人になって実際の社会に出会うまで、私はそう感じていました。 実社会では、ものごとがすべて予定通りになることはないということを経験から学びました。たとえどんなに努力しようとも、目に見えない様々な要因が限りなくあって、結果に影響を及ぼします。大学受験にせよ、仕事の計画にせよ、結果がよくなかったとしても、それは人としての価値や能力を決定するものではありません。ただ、運だけは自分の力で操作できないということです。できること、やるべきことは、立ち上がり、そしてまた全力を尽くしていくことだけです。「勉強(仕事)はしなさい。ただし、成果にとらわれてはいけません」“Do your work, but do not be attached to the fruits of your work.”

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