富山県版 Vol.17
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努力を認め、褒めてくれた先生富山県立高岡工芸高等学校永井隆浩先生です せこう     ほどと 小さい頃、建築現場の前を通ると、「こんな大きなものをどうやって造るのかな」と不思議に思いながら、よく立ち止まって見ていた記憶があります。そんな好奇心が自分の中に残っていたのと、野球を続けたいという思いが重なって、私は富山工業高校に入学しました。高校の3年間は、ほとんど野球一色。卒業アルバムにも坊主頭の私が写っています。そして思い出すのは、渋谷先生によく叱られたこと。当時、  リレーエッセイ「その十七」今回はしかしょく初めて担任されたのが私たちのクラス。厳しいだけではなく、生徒一人ひとりをちゃんと見ていてくれ、一度だけ私も褒めてもらったことがあります。授業中に早く問題を解いた私は、解らずに困っている友達に教えていたのですが、それを褒められて嬉しかったことを今でも覚えています。教員になるという選択はそれまでありませんでしたが、渋谷先生に出会って意識するようになり、大学に進学した私は4年生の時、母校で教育実習をしました。そこでもお世話になったのが、やっぱり渋谷先生。実際に生徒たちと関わりながら、先生としての目線で多くのことを教わり、教員になりたいと本気で思いました。生徒の半数以上が卒業して企業に就職する工業高校。その先生になるのであれば、一度自分も企業で働いてみたい。そして私は建物の空調や給排水の施工を行う会社に就職し、現場監督として仕事を経験しました。たった2年間でしたが、自分が描いしゅういくはかた図面どおりに施工が行われ、完成した時の感動や、任せられた現場を責任を持ってやり遂げる緊張感を幾度も味わい、また失敗もたくさん経験しました。初志を忘れず教師になり、3年目を迎えました。多感な生徒たちを相手につい感情が高ぶってしまうことがあります。なぜ渋谷先生が怒っていたのか、今はその気持ちが痛いほど理解できます(笑)。教師として大切なのは、生徒の努力を褒め、成長を評価することだと思います。私が高2の時、野球部の部長だった上村先生が離任の挨拶で触れられたのが私の話。ベンチ入りを目指し、早朝自転車を45分こいで登校し、自主練をしていたことを知っていたという話をされました。全校生徒を前にして恥ずかしかったですが、自分の努力を最後に褒めていただいたことは、その後の私の人生にどれだけ力を与えてくれたか計り知れません。  富山県立高岡工芸高等学校 教諭永井 隆浩先生【ながい たかひろ】富山市立月岡中学校、富山県立富山工業高等学校 出身藤子・F・不二雄、まつもと泉をはじめ、著名な作家やアーティストを輩出している高岡工芸高校に赴任して3年目。昨年11月に結婚式を挙げたばかりの新婚さんであるが、野球部のコーチ、そして大工の技能検定に向けた実技の練習があり、早く帰れない。千葉工業大学工学部卒業。2級建築士、2級管工事施工管理技士。担当教科は工業(建築)、野球部顧問。「来春、初めて担任したクラスの生徒たちが卒業式を迎えると思うと、今から目頭が熱くなっています」24

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