富山県版Vol.22
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富山県立富山西高等学校稗苗雅寛先生ですよろこ生徒の可能性を信じる歓びを教えてくれた先生  わ  ぶ からだくんたたかん5人兄弟の末っ子に生まれた私は、小学校から大学までずっと野球一筋。学業との両立を心に留めつつも、大学4年でグローブを置くまで、ひたすら野球に打ち込みました。野球の基礎的なスキルを教わったのは、中学時代にお世話になった監督の八倉巻先生。熱血な指導とともに、部訓の「挨拶・時間・感謝」を徹底することを叩き込まれ、社会生活の大切な根幹が身につきました。覚えているの  リレーエッセイ「その二十二」今回はは、ピッチャーの自分が乱調だったせいで散々な結果に終わった試合。打ちのめされ、半泣きで投げ続けるも、マウンドを降りることを許されなかったのは、追い込まれた状況で何かを掴んでほしいという私への期待だったと監督から聞かされ、涙が止まりませんでした。その経験のおかげで、ピンチの場面でも、どっしりと構えられるようになり、ひと皮むけた気がしました。高校では、1年生の時から試合に出させてもらったのですが、監督の横山先生は、身体だけでなく、メンタルのケアまで大切なことをたくさん教えて下さり、自分を信頼して思い切りプレーさせてくれました。私は常に自分と向き合い、ケガや故障をしない身体づくりを意識してトレーニングし、努力をさんざんひとすじこん少しプラスすることで限界を押し上げていきました。体育教師を志すようになったのは自然な成り行きですが、その気持ちを強固にしたのは、大学時代の教育実習でした。毎晩、徹夜で授業のらんちょうつかかま組み立てを考えるのは大変でしたが、生徒たちにちゃんと伝わり、反応が直に感じられるのが嬉しく、マット運動の実技では、体格や体力に差がある生徒たちが助け合って、全員が壁倒立を成功させ、笑顔がニコニコ輝くのを見て、「なんて幸せな仕事なんだ」と感激しました。学生の時は、何も思わずに受けていた授業でしたが、先生方の思いに気づき、尊敬の念が湧いてきました。思えば、私が日頃、生徒に向けて発信しているのは、かつて自分が中学、高校の担任の先生から教わった言葉。いろんな先生から影響を受けてきたのだと気づきます。教師になっても、自分以外は、みんなわが師。生徒たちや自分が関わる人みんなを幸せにできる人間になることが私の理想。そこに近づくために、自分の器をもっともっと大きくしていきたいと思います。じかかべとうりつうつわ  野球部員募集中!選手4名、マネージャー3名の少数チームながら、純粋に野球が好きな意欲にあふれるメンバーたち。 富山県立富山西高等学校 教諭稗苗 雅寛先生【ひえなえ まさひろ】魚津市立西部中学校、富山県立魚津高等学校 出身かつては注目の高校球児として野球雑誌にも紹介され、エースとして活躍。現在もランニングと筋トレで肉体を鍛え、富山マラソンも3時間を切るアスリートである。昨年、担任のクラスが初めて卒業を迎え、手作りの卒業証書を生徒一人ひとりにプレゼント。感極まって号泣したという愛情あふれる赴任6年目の熱血先生。富山大学人間発達科学部環境システム学科地域スポーツコース卒。野球部顧問。担当教科は保健体育。24

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