心ごこち地には大満足。それもそのはず、軌きどう道を支える土台の構造物は、高さ開業した北陸新幹線のホームに初めて立った時、電光掲示板の行先に「東京」と表示されているのを見て、「つながったんだな」と心の中でつぶやきました。車しゃう窓そからは、私が5年間、高こう架かき橋ょう工事に関わった区間が見えるはずでしたが、荷物を棚に上げているわずかな間に通り過ぎてしまいました(笑)。でも滑らかな乗りが規定のプラスマイナス10㎜以内という厳しい監理基準に従って精せいう巧こに造られ、現場監督として自分の目で念入りにチェックしましたから、振動もほとんど感じませんでした。大学進学と同時に富山を離れ、東京や名古屋で長く仕事をしてきた私にとって、北陸新幹線の工事は故郷への恩返しとなる仕事でした。大学では土木工学を専せんう攻こしましたが、将来を見みす据えて真剣に決めたわけではありません。都会の生活は楽しくて、入学当初は遊び優先。しかし、東京湾アクアラインの工事現場を見学した時、自分の進む先には壮そ大だでロマンあふれる仕事が待っていうのじりいな6田おくだ 雄ゆういち一奥ることを予感しました。それから襟えを正して真ま面目めに勉強したのですが、土木について学べば学ぶほど、「早く現場に立ちたい」という思いが募つりました。大学を卒業し、いよいよ監督デビューできると期待したものの、入社して配属されたのは「技術研究所」。そこでは原子力発電所の耐震設計を担当し、机で仕事をする日々が続きました。大学時代、地震時しずえ故郷への恩返し早く現場に立ちたかった次世代に希望を繋つぐ礎いを故郷の大地に築いていきたい(46歳)奥田さん(右)佐藤工業株式会社 北陸支店七尾作業所 副所長 監理技術者 一級土木施工管理技士出身校:富山市立奥田中学校 富山第一高等学校木土現場監督
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