これまでの25年間、いろんな土木工事に携たずさわってきました。能越自動車道、北陸新幹線、立山砂さぼう防、いかるぎの大橋…、もう何年も経っていて、あたり前の景色になっていますが、車で通るたびに、「ここもお父さん造ったよ」って、助手席の子供につい言ってしまいます。長い時間をかけて、多くの人たちと協力して造り上げた思い出がそれぞれにあって、施せこう工時の残像が蘇えってくるのです。そして今も地域の人たちの役に立っていると思うと、苦労したことも忘れてしまいます。が、本当は駅伝がやりたくて、高校の陸上部で長距離を走り、大学から本格的に駅伝を始めました。高校時代は土木科で測そくり量ょうが得意だったの中学の時は野球をしていましたよみがで、当時から駅伝に力を入れていた福井工業大学を受験する時、それが役に立ちました。全日本大学駅伝で名古屋の熱あつた田神宮から三重の伊勢神宮までの一区間をタスキをつなぐため、全力で走ったのを思い出します。大学で建設工学を勉強し、土木の現場監督としての人生がスタートしたわけですが、ふり返ると北陸新幹線の現場が監督としての基礎をつくってくれたと思います。他の建設会社のベテラン監督とともに、日本各地から来ている100名を超える作業員さんたちを指揮する中、一番若かった私は、とにかくたくさん怒られたことが印象に残っています。■松田 孝之さん人生はマラソン、仕事は駅伝豊かなふるさとの未来へタスキを繋ついでひた走る(46歳)田まつだ 孝たかゆき之田なかだ 悠ゆたか貴松中 な4中田さん(左)、松田さん(右)出身校:砺波市立庄川中学校、富山県立福野高等学校出身校:南砺市立城端中学校、富山県立福野高等学校(28歳)工事部 課長代理 1級土木施工管理技士工事部 土木現場監督中越興業株式会社
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