北話エンジニアリング株式会社_石川
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34oV4202ETON.lARUKAS く ■I・Hさん優しさをつないでいきたい中が真白になってしまいました。心強かったのは、他県から駆かけつけてくれた仲間たち。とにかく一いっく刻こも早く仮復旧させるため、垂たれ下がったケーブルを引き上げ、電柱が倒れた場所は樹木を利用し、ガードレールを伝い、山中を這はわせながら人じんい海か戦術でケーブルをつなぎ続けました。人間が長年かけて築いてきた生活基盤も、自然災害は一瞬で奪ってしまいますが、培われた技術は決して奪われません。全国どこで災害が発生しても、未来に希望をつなぐ心意気があれば、何度でも立ち直れると信じています。小学校の頃から夢見ていたのは、甲子園のマウンドに立つこと。それ以外は何も考えず、親元を離れ金沢で一人暮らしをしながら高校に通いました。夢が叶かなって、強豪校相手に最後の3イニングを投げることができたのは、私にとって最高の思い出です。しかしながら、勉強は二の次。先生の話は右の耳から左の耳にぬけていきましたが、「授業中は絶対に寝ない」と決めていたので、忍耐力だけは鍛きたえられました。 負けず嫌いが一番の取り柄えとも言える私は、仕事においても競争心が刺激されます。輪島市内に光回線を敷設する工事で、北陸3県から応援に来てくれた仲間と共に、光ファイバーを接続して保護する「クロージャ」という箱を約千個設置しました。誰よりも早く確実につなぎ、多く取りつけようと闘志を燃やしたことを覚えています。そんな記憶も消し去るように、今年1月に発生した能登半島地震の破壊力は凄すさまじく、無残に変わり果て報ほう酬しゅでうすが、人とつながる幸せを一た輪島の街を見て茫ぼうん然ぜとしました。高校時代、控えのピッチャーとしていつも土どた壇ん場ばで起きよう用されていた私は、今の自分ができる最大のことをやろうと心にスイッチが入りました。しかし、広範囲にわたって通信ケーブルが切断された状態では携帯電話も通じません。離れて暮らす家族や知人と連絡が取れないお年寄りたちの話を聞いてあげることで、少しでも気持ちが楽になるならと思い、「大変やったね」と声をかけて回りました。私が同じ能登の人間だとわかると涙を流して話してくれたり、逆に気きづか遣っていただいたりしました。通信ネットワークが世界中に張りめぐらされ、どんなに離れていても人とコミュニケーションがとれる現在ですが、大切にしたいのは人の温ぬもり。私の仕事はいろんな場所に行って、そこで暮らす様々な人と接します。話し好きな私は、地域の人と触れ合うのが楽しく、話しかけられると嬉うれしくなりますが、決して作業の手を止めず、確実な仕事をするのが自分のポリシー。回線がつながった時のお客様の笑顔は何よりの番感じているのは私自身なのかもしれません。光通信ケーブルなど通信設備・回線の施工・保守・管理、モバイル通信事業、電線の配線・配管・地中化工事、その他電気通信に関する総合エンジニアリング。北話エンジニアリング株式会社〒920-3112 金沢市観法寺町ろ11番地Tel. 076-257-7001 URL http://www.hokuwa-eng.co.jp ■代 表 者 代表取締役 滝 裕孝 ■設  立 昭和48年  ■従業員数 361名  中学、高校時代はサッカーに明け暮れ、真っ黒になってボールを追いかけていました。仮設住宅(七尾市)での通信回線の構築作業。お年寄りに好かれる私は「昼ご飯作ったし、食べるか?」とよく言われます。これも仕事を続けてきて味わう幸福感です。

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