の選手として高校でも陸上を続けま嫌々入部した中学校の陸上部。短距離した。(前列左から2人目)運動会で選手宣誓を行う中学時代の私。私の学生時代現在の私からは想像できないと思いますが、小さい頃は虚弱体質で小学校も欠席ばかり。給食も残す弱々しい子供でした。足も遅く、運動会では後の組にも追いつかれる有様。そんな自分を知ってか知らずか、中学に上がると陸上部に引っ張られ、強引に入部させられてしまったんです。芳野中学校から庄川まで走って往復するのがウォーミングアップ。私はだいぶ遅れ、折り返してくるみんなとすれ違いながら、ひとり死にそうな顔で往路を辿っていると、「中村、大丈夫か?」とキャプテンが戻ってきてくれました。ようやく庄川の堤防までたどり着くと、吐きそうになる私の背中をさすりながら、「必ず強くなれるから絶対あきらめるな。無理やと思ったらおしまいやぞ!」と言って近くの鉄工所で水をもらい飲ませてくれました。あの時背中に感じた手の温もりは今でも覚えています。私を陸上に誘ったキャプテンのM先輩は、県の記録保持者で女子生徒も憧れる人気者。全く正反対だった私に目をかけ、学年トップになるまで仕上げてくれました。あれは忘れもしない高校1年の県大会。ケガをした3年生に代わり、急遽千六百mリレーのアンカーをすることになったのですが、一度も練習しないまま本番で走った私は200mを過ぎたところから足がもつれ出し、もはや限界。すると、「中村、腕振れ〜!」という声が耳に入りました。声の主は高岡向陵高校のユニフォームを着たあのM先輩。なんとか走り切ってゴールに飛び込んだ私にタオルをかけ、「陸上、続けてくれたんやな」と言ってドリンクを手渡してくれました。ひ弱で一人で生きていく自信もなかった私は、当時ドルを越えることができました。この経験が自分を変え、経営の考え方に繋がっているのは間違いなく、必ずM先輩を探して感謝の気持ちを伝えたいです。なかむらまさじサニーライブホールディングス株式会社代表取締役社長サニーライブグループCEO(53歳)出身校:高岡市立芳野中学校、富山県立高岡高等学校27歳で南陽グループ(旧社名)社長就任。小さい頃から車好きでF1レーサーに憧れ、休日はレーシングスーツに身を包みレーシングカートでサーキットを走る。中央大学法学部法律学科卒業。高岡商工会議所副会頭および、万葉線株式会社代表取締役社長も務める。15歳の少年だったM先輩に助けられ、人生最初のハー 中村 正治さん
元のページ ../index.html#5