建築に夢を馳はせる監督としての第一歩次の現場の幕が上がる時また新たなドラマがはじまるの建造物を造ることができるんだろう?」。大学を出て、この会社に入った22歳の時、そんなことを考えました。途中までは、「次はいくつ目の現場」って数えていたんですが、28年経った今、すぐに思い出せるのは、30くらいです。私の父が工こう務むて店んの仕事をしていたので、小さい頃は作業場でよく遊んでいました。転がっていた材木の切れ端を集め、のこぎりや金づちを使って舟を作り、川に浮かべて友達と競争した思い出があります。高校の夏休みに住宅の現場で仕事を手伝ううち、「いつか自分の設計した家に住んでみたい」と思うようになりました。そして、大学の建築学科に進み、主に建物の構造について勉強しました。「60歳までの38年間で、どれだけ最初の配属先は、大学の4年間を過ごした新潟より、もっと北の東北支店。私の監督見習いとしての生活は本州最北端の青森からスタートしました。最初の現場は、保険会社のオフィスビル。東北三大祭りの一つ(50歳)橋むらはし賢けんじ司村ねぶた祭を初めて見たのは、建築途中のそのビルの屋上からでした。自分一人で監督を任せられた農業試験場は、確か28歳の時。その他、自動車部品工場、クラブハウス、ケンジワールドなど、現場監督の基礎は、東北各県で学ばさせてもらいました。佐藤工業が施工した建造物は、日本全国、そして海外まで広がっていますが、実は砺波が創業の地。会社の故郷でもある富山に戻ってきて、はや20年経ちました。これ出身校:富山市立堀川中学校富山県立富山高等学校建築現場監督佐藤工業株式会社砺波図書館作業所 現場代理人1級建築士 1級建築施工管理技士
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