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夢を持つことは、重荷を背負うこと
2015/06/24 10:06

60過ぎた今でも、夢に出てくるくらい、
本当はワシ、高校に行きたかった。
でもある日、おふくろが泣いているのを見てしもた。
「アキオを高校に行かすために売ろうと思とった子牛が
死んでしもた・・・」言うてね。
農家やったし、ウチに余裕ないのも知っとったさけ、
「高校行きたない」ちゅうて、中学卒業して金沢に
働きに出た。
その分、誰にも負けん職工になって、金沢に家建てて、
きれいな嫁さんもらうのを目標にして頑張ってきた。
15歳から鉄工所で働き、通信教育で学びながら仕事を
覚え、24歳で目標だったマイホームを手に入れた。
そして、2軒目の家も建てることができた。
現在は、培った機械加工の技を高校生や若手技術者に
教える熟練技能者(ものづくりマイスター)のI さん。
ふり返れば、自ら“重荷”を背負ってきた人生だったと言う。
しかし、この“重荷”こそが“夢”だったと。
徳川家康の訓えが頭に浮かんだ。
「人の一生は
重荷を負うて、遠き道を行くがごとし
急ぐべからず
不自由を、常と思えば不足なし
心に望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし
堪忍は、無事のいしずえ
怒りは、敵と思え
勝つことばかりを知って、負くることを知らざれば、
害、其の身に到る
己を責めて、人を責めるな
及ばざるは、過ぎたるに優れり」