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生きる目的について考える
2011/01/10 10:01

 いつも横浜で宿をとる近くに、いわゆる“どや街”といわれる地区がある。
ゴミと放尿の悪臭が漂い、夏場などはそこかしこに人が屍体のように寝転がって
いて、ギョッとする。地元の人は決して近寄らない特別地区だ。
 そこに住むほとんどの人はかつて港湾開発の日雇い作業員として地方から出て
きた人たち。今は歳をとって働けなく(働かなく?)なり、身を寄せるところもなく、
家族とも縁を絶ち、生活保護を受けて生活をしている。
 
 それにしてもここの光景は異様だ。早朝からワンカップやビール缶を片手に、すでに
顔を紅くしている人も少なくない。また、朝から営業している呑み屋もあるから驚く。
ここの近くのローソンもスゴイ。入るとすぐに目に入るのがものすごい本数のワン
カップやパック入りの日本酒。そして入り口に座り込んでいるのは、高校生ではなく、
イカを口にくわえ、ワンカップを手にしたオッサンたち。空きビンも転がっている。
 
 この人たちは最低限の生活保障を受けており、平日も休日も関係ない。朝夕関係
なく酒を呑み、正直イヌやネコとあまり変わらないような日々を過ごしているのである。
ただし、中には真面目に、質素に生活を送られている方々もたくさんいらっしゃること
も事実。なぜかいつも夜中にほうきとチリとりをもってこの界隈を掃除しているおじい
さんもいる。夜遅い時間に通りかかると必ず会うのでほとんど毎日、小雨や風の日も
掃除をされているのだろう。
 最近、世界で最貧国とい言われるバングラディッシュでストリートチルドレンの支援
活動をする「NGOエクマットラ」 主宰の渡辺大樹さんという人をテレビで知った。
1980年横浜生まれ、金沢大学文学部出身だということにも興味を持った。

 何のために人は働くのか?
日本人から真っ先に出てくる答えは「食べていくため」。
もちろん、“食べていくこと”の意味は、単に腹を満たすことだけをいうのではなくて、
生活することすべてのことを言っているのであり、謙虚な日本人の性格から、そんな
表現の仕方になるのだろう。
 しかし、日本人のいう“食べること”の意味は、「より美味いものを喰う(より豊か
な生活をしたい)」ということであって、バングラデシュのスラムに生活する人たちの
“食べること”とは、かなり意味合いが異なる。
 十分な教育を授かり、衣食住が満たされ、おまけにインターネットにつながっている
環境にあっても、“生きること”の目的を、「食べていくこと」以外に見つけられない
日本人は一体なぜなのか?
 
 「捨欲即大欲」という言葉がある。
 
 小さな欲を捨てることが「天を相手にする大欲に転ずる」という意味。
 
 小欲は自利を求め、迷いの元となる。大欲は利他を産み神の意志に近づく。
 
 日本人の場合は、大欲ではなく、少欲と多欲。だから「迷う」のである。
 渡辺さんの話の中に答えがあるように感じた。