幸福感というのは、時代によっても人によっても変わる。
「幸」という漢字の意味は、成り立ちを調べると「若死にすることなく生きながらえる」または「罪を逃れる」ということを表しているらしい。要するに「災いや病気、争いを避けて無事に過ごす」という喜びを表現したと思われる。
かつては、「仕合せ」と書かれていたという。「仕」とは、尊い相手につかえるという意味で、他人同士が「仕え合う」「し合う」ことで相喜ぶ。それこそが「しあわせ」なのだということを、昔の日本人は知っていたのかもしれない。
英語にあてはめると、前者が“Lucky”、後者が“Happy”だろうか。
社会は、数限りない他人の仕事で成り立っており、どんな仕事にも自分が得られる喜びと、人に与える喜びがある。
そして人は、自分自身のためよりも、誰かを喜ばせたいと思った時のほうが行動するエネルギーが大きく、あきらめずに努力し、状況によっては命までも捧げることができる。努力することで能力やスキルが向上し、より大きな成果が得られ、より多くの人に喜んでもらえるのである。
その喜び(仕合せ) は、労力や時間と引き換えに得られるものであることを、大切な道徳的価値として、本来、社会に出る前の若い人たちに教えるべきことである。
現在、学校教育として「キャリア教育」が行われているが、小・中・高と上がるにつれ、「職業的自立」「就業能力育成」という名のもと、進路選択のカリキュラムと化していく。
その結果、職業を選択する尺度は、自分を軸として考える。だからつまずいたり、思うようにいかないと、「ミスマッチ」という言葉で誤魔化したり、極端にそれを恐れるようになる。
初めて挑戦することは、ほとんどが「ミスマッチ」から始まる。
「しあわせ」を手に入れようと思ったら、自分を「仕事」に「合わせる」しかない。
“天職”とは、自分に合った仕事を言うのではなく、
自分を合わせることができて感じる“こと”。
その“こと”を伝えるのが「さくらノート」の使命なのだ。